11月, 2013年
イラン旅行と最近の中東情勢で感じた事
<はじめに>
イランに9月26日から11日間旅して来た。「栄華を極めた古都と素朴な村を巡る古代ペルシャ・バスの旅」である。
一般的な日本人から見ると「イランは危ない国」のイメージが強い。確かに戦乱・動乱の続く中東は内戦・テロも多いだけでなく、比較的遠いし何故そういう状況になっているか分からないので敬遠するのは理解出来る。しかし、日本のマスコミ報道は欧米マスコミのキリスト教の立場を元にしてシオニズムで出来たイスラエルの影響を強く受けたプロパガンダ報道の追随が多く公平性に問題がある。マスコミ以外の情報も加味して見ると内戦の続くシリアを別にすれば、イランではこの旅行期間に本格的な戦争は起こらないしテロの危険も極小だと判断した。そして今後「イスラエル&欧米とイランの戦争が回避出来るのかどうか」を見守る上でより正確に理解する為に、自分の眼で本当のイランの現状も少し知っておきたかった。一時は米国の空爆の危険が高まったが、ロシアの介入や米国議会が慎重になった事等で回避された。そしてたまたま今回の旅行直前に、ローハニ新大統領とオバマ大統領の歴史的な電話会談があり、又11月初旬からジュネーブで開かれているイランの核開発問題協議が大詰めを迎えている。イスラエルやサウジアラビアの反対が強く協議成立迄に簡単にいく筈はないが、この成否は中東地域だけでなく世界情勢の安定に多大な影響を及ばすので協議の行方を固唾をのんで見守っています。
中東情勢についての基礎知識は、現政権の政策に批判的な元官僚の孫崎享氏(元イラン大使)や天木直人氏(元レバノン大使)の著作やメルマガ、JSRメルマガ他の情報がより公正で信頼性が高いと考えて参考にしている。又、小室直樹氏の「イスラム原論」や「アラブの逆襲」も読み直し、理解出来る範囲で(旧約聖書や新約聖書、コーラン等を読んでいないので充分な理解は難しい)それらも照らし合わせながら自分の感じた事を纏めてみた。日本の人達が国際情勢に多大な影響を及ぼすイラン問題やイスラム教を偏った情報だけでなく、少しでも公正な立場から考えイラン等イスラム圏の多くの善良な人達と友好関係を築いていけたら良いと考えています。イラン(ペルシャ)は決して侮れない実力を持ち世界をリードしてきた輝かしい歴史・文化・宗教が存在し理解を深める事でより心豊かになれると感じさせる旅でした。
現在は人口7000万人余のイラン。豊か過ぎる親欧米産油国のカタール航空便でカタール経由まずは1260万人が住む首都テヘランへ。街はイラン高原の麓で海抜1500Mと高く、北に4000m級の山々が並んで聳えていて美しくホテルではエアコンを切って過ごした(空調は全館一律タイプだが)。山の向こうはカスピ海で南岸は緑も豊かで冬は雪も降るという。テヘラン市内は鉄道や地下鉄の整備が充分でなく南北のメインストリートは酷い渋滞(ガソリン不足の筈だが)で悩まされていた。今は欧米主導で日本も追随した経済制裁で、飛行機の部品が供給されず運行が不安定な為バスで国を縦断しようという企画の旅であったが、却ってよりイランの魅力に浸れる旅だったと思う。
1.宗教=イスラム教関連について
・イスラム教の教義と一般イラン人のイスラム教&現指導者層への思い
使徒モハメットが西暦610年メッカ郊外でアッラーの神の啓示を受けたとして始めたイスラム教の教義に六信(神・天使・啓典・使徒・来世・定命)五行(信仰告白・礼拝・喜捨・断食・巡礼)があるようだ。異郷・異教の私だが、トルコやエルサレム、イラン等を旅して訪れるイスラムのモスクはどれもとても好きな空間です。礼拝は他のイスラム教国では決められた通り5回行う人が多いが、イランでは3回で簡便に済ます人も多いそうで全く行わない人も3割程度らしい。今回のツアーガイドは日本に6年間暮らしたイラン人だったが、預言者モハメッド布教以前のアケメネス朝ペルシャやササン朝ペルシャ時代等古代の非イスラムの歴史・文化の豊かさを誇りにしていてイスラム一色ではないようだった。前回の大統領選挙では投票で下位だったにも拘わらず、イスラム教指導者達の推薦で強硬派のアフマディネジャドが就任したいきさつがあったらしく当時も反対のデモがあり、今回選挙では自分達の選んだローハニが新大統領に選ばれたので米国との関係が改善されそうだと皆大歓迎だったそうだ。
・偶像崇拝禁止の意義
各地に大小いろいろなモスクがあったがテヘランは少ないと感じた。モスクの中はどこも偶像は何も無く、ただ壁面や天井は美しく床に絨毯やゴザも敷き詰められた心休まる空間でした。イスラム教の偶像崇拝禁止は、バーミヤーン遺跡(アフガニスタン)の大仏の破壊等何であんな乱暴な事をするのかと思っていたが、アッラーの神(神だがヤハウェと同一ではない)を唯一絶対の神としモハメットですら最後の使徒で最大の預言者として位置づけられていて偶像化していない。又イスラム教の信徒間は平等で王様も貧民も神の前では同列だそうで宗教指導者はいるが聖職者・僧侶階級を持たない事は、僧や神官を別格扱いしている日本人には理解しにくい所だ。それでも異教徒の私でも、モスク構内に入ると何とはなしに漂う温かさや優しさに共感や安らぎを感じて心が伸びやかになるのが嬉しい事です。
・ハラール(食べて良いもの)とハラーム(食べてはいけないもの)
テヘラン市内のバザールの中の食料店に質量とも豊富な食材が並んでいるのに驚いた。くるみ・ピスタチオ・ピーナッツがあまりに安くておいしかったので、大量に買って来てお土産にしたが、友人・知人から好評しきりでした。欧米日等の経済制裁により4年間年率30%のインフレに苦しめられているが、それでも食料自給率は100%で輸出もしていて食料問題はないとの事(但しテヘランは家賃が高く、殆どの人が仕事を2つ掛け持ちで働いていて、医師が夜タクシーの運転手をやる位との事だった)。アルコール厳禁なのでノンアルコールビール(但しレモン味等)で過ごしたが痛痒は感じなかった。ケバブも美味だが、ホテル・レストランはどこへ行ってもほぼ同じパターンのてんこ盛りでとても食べ切れなかった。豚だけでなく牙や爪がある動物が禁止されている(ハラーム)が制限は複雑で(意外に解釈は柔軟らしい)、食べて良いものはハラール表示のあるものに限定されているとの事。いずれにせよ食べ物はふんだんで果物も何でもあって皆とてもおいしいし、スイーツはアルコールが飲めないので発達していて、日本に負けず劣らずのおいしいお菓子が豊富でお土産にしたら大変喜ばれました。
・イスラム教シーア派の国
イランは世界のイスラム人口16億人のうち約1割という少数派のシーア派が殆どの国だ。スンニ派と元々の教義に大差は無さそうだが、モハメッドの血統を継ぐイマームをいだくか、血統にとらわれないカリフを信者代表とするかの違いがある以上の事はまだ理解していないのでこれ以上触れない。イスラム教第一の聖地メッカのある多数派のスンニ派の国サウジアラビアとは関係が悪く、シリア内戦でもイスラム少数派のアラウィー派のアサド政権支持のイランと反政府軍支持のサウジアラビアとは敵対して主導権争いをしているようだ。勿論イスラエルや欧米の諜報組織も深く絡み石油利権を巡って争っているようだが、中東のより根本的な問題はパレスチナ問題だ。それにカダフィーやムバラク等独裁的政権が倒れた現在、サウジやカタール等湾岸国の王家の存在はまだ盤石だろうが微妙でに複雑に絡み合っているので正確な把握は難しいが、出来るだけ正確に知ろうとしている所です。
今回はイスラム教シーア派第2の聖地ゴムでマスアーメ廟を見学。ここはイスラム革命の発端となった地でホメイニ師もここで学んでいた人口78万人の宗教保守派の牙城。多数の参拝者と教学者達がいたが、皆ホメイニ師の怖いイメージとはほど遠くにこやかでゆったりとしていて教学者に声を掛けたらきさくで一緒に撮影に応じてくれた。ゴムを本拠にする現指導者のハーメネイ師達はローハニ以外を選びたかったようだが、52%の選挙結果には抗えなかったようだ。
2.政治&軍事関連
・原子力
イランは医療用アンソトープの生産を行うテヘラン原子炉の稼働の為20%高濃縮ウランの自国製造を進めていると主張しているが、核保有に繋がる90%以上の高濃縮ウラン製造に繋がると警戒されてきた。そこでイランはIAEAの査察受け入れをするので経済制裁を大幅に緩和するよう主張している。それでも今回協議成立迄至らず20日に再協議となったようだ。イスラエルは自国の安全の為に核武装していて米欧も暗黙で認めている事は公然の秘密だが、中東の他の国の核武装はイスラエルが絶対に認めないので米欧・IAEAも認めない。今回イランがIAEAの査察を認めてもイスラエルが協議成立に反対なのは、核保有せずともイランの影響力の強大化を警戒しているのだろう。イスラエルは経済制裁の緩和を極小にすべく強硬に主張していて大詰めの段階だ。今回旅行時テヘランからイスファハンへバスで南に向かう道中に2か所核関連施設が遠望できる所があったが、走行中の車中からの撮影すら禁止されていました。
・パフレヴィー時代と(ホメイニ師らの)イラン革命の見方
モハンマド・レザー・シャー・パフラヴィー(パーレビ国王)は父の開いたパハラヴィー王朝の2代目。1970年代は米国との関係は良好で最恵国待遇を得て最新鋭の戦闘機や旅客機を供与される等イラン近代化(開発独裁)を推進した。又ヒジャブの着用禁止等の女性解放も推進したが、近代化を嫌うホメイニ師らのイスラム法学者や傀儡政権への国民の反発等でアメリカ大使館人質事件等が立て続けて起こり、最終的に国王は国外追放となった。以降米国との敵対関係が続いて来ていた。今回の旅ではテヘランのサーダバード宮殿で当時のペルシャ絨毯等の宝物を見たが実に華やかであったがイランの人達は敬遠しているとの事で、近代化の時代はたった2代だけで元のイスラム教国に戻っていった事が分かった。ちなみに現在は旅行者もヒジャブ着用が義務付けられていたので妻達も滞在中ずっと着用していた。女性の社会進出はまだまだとはいえ、学生も多いテヘランで大学生の7割が女性だそうです。
3・主に古代を偲ぶ旅行内容
・テヘラン
考古学博物館では古代ペルシャの展示物が多かったがゆっくり鑑賞する時間不足でした。宝石博物館(イラン中央銀行の地下)では歴代王家のまばゆいばかりの財宝を見学した。
・カシャーン
人口27万人の王の道(スーサ~ペルセポリス)沿いにテヘランから南へ約3時間のオアシス都市。欧米列強の圧迫下にあったカージャール朝の宰相アミール・カビールが更迭後に暮らし暗殺された世界遺産のフィーン庭園は噴水・池が美しくまだ眼に浮かぶ。バラの花も綺麗だった(バラはイランからイギリス等に拡がったとの事)し散歩は実に快適であった。有名なカシャーンの絹の絨毯は懐具合に関わらず見ると買いたくなるのが必定なので眼を瞑ってパスしました(トルコ絨毯よりこちらが本場だそうです)。
・イスファハン

途中ピンクの石作りの家や石畳の続く素朴なアブヤーネ村に立ち寄り。おばあさん達が、凄い田舎なのに素敵なピンクのバラ模様のスカーフをしていて似合っていて土産にしようと見たらメイド・イン・ジャパンだったのでパス。この人口僅か数百人程度と思われる田舎村の洞に数名の若者の写真が飾ってあったので何か聞くと、皆1980年~88年迄続いたイラン・イラク戦争の戦死者を祀っているとの事で驚いた。
イスファハンはテヘランから南へ40km。古くから政治・文化・交通の中心の街だったが、16世紀末はイスラムのサファヴィー朝の首都として世界の半分と言われる程栄えた都市。まず創建8世紀のの精密なタイルの美しい金曜モスクから、広大なイマーム公園を一望出来るアリパク宮殿へ。素晴らしい細工を観ながら急な階段を上り、室内楽団もいた所を更に上るとテラスからの眺望は素晴らしかった。広大なイマーム公園は夕方には家族連れが芝生の上に輪になってゆっくり歓談を楽しむ光景が実にのどかでした。人々の日本人旅行者への好意も随所で感じられました。翌日もイマーム広場をゆっくり堪能。本当に広大で周囲にはトルコ石(本当はイラン産)やタイル、ラクダの骨に書いた細密画等多種類の伝統工芸品店が立ち並び時間を忘れて見入って回り何点か購入。決済はドバイ経由であまり歓迎されなかったがクレジットカードも使えました。イマームモスクの細工は素晴らしかったし、公園を一周する馬車も楽しんだり。イギリスのものと思っていたポロ競技も発祥の地はここイスファハンだったようです。是非再訪したい所です。
・アクダ&ヤズド
ゾロアスター教の街アクダ経由ヤズドへ。高いミナレットの金曜モスクを望んだあと、アーテシュキデで拝火教神殿で1000年以上燃え続けているという神秘的な”永遠の火”を観た後、鳥葬が行われていた沈黙の塔という丘を歩いた。イスラム教は本当は異教徒に寛容で共存してきたのが事実のようです。
・パサルガダエ
パサルガダエへ向かう途中のアバルクで樹齢4500年前の糸杉の周囲を散策。糸の名前が全く似合わない巨木ですが、掘り出したものでまだ半分は埋まっている状態との事で、実に若々しく感じる樹でその姿は眼に焼きつき忘れられません。
ペルセポリスの北東87kmにあるパサルガダエ。アケメネス朝・ペルシャ帝国の最初の首都であり、紀元前546年に、キュロス2世の手によって建設が開始された場所。大昔のキュロス2世のものと伝えられる墓には強い存在感があった。。
・ペルセポリス

史上最初の帝国と言われるアケメネス朝ペルシア帝国の都。最盛期(リビアから中央アジア迄またがる大帝国)を迎えたダレイオス1世(ダーラヤーウ1世)が建設した宮殿群。クセルクセス1世、アルタクセルクセス1世等が実際に行政をした場所と言われている。山裾に自然の岩盤を利用して作られている広大な宮殿跡だ。今回は間近な森の中の大臣達も泊ったコテージ型ホテルだったので、初日はクセルクセス門から夕日が沈みゆく日没前と、翌日は早朝から大階段、クセルクセス門、百柱の間、謁見の間、東階段、ハディーシュと全体をゆっくり歩くのと2回も訪れる事が出来て史跡を満喫した。東階段の壁に描かれた当時の多くの属国群の民族毎に特徴あるレリーフが興味深く、往時の権勢が偲ばれました。
・シラーズ
最後が南端にあ
り、詩人の街と言われるシラーズ。紀元前700年頃からの街だが、13世紀以降学問の中心地となり、詩人サアディーやハーフィズ、哲学者モッサー・マドラーらを輩出し芸術や文学が花開いた。一時衰退したが1750年、ザンド朝が起こると1762年にシラーズはその都となり、カリーム・ハーンは要塞や城壁、バザールなどを改修再建し繁栄を取り戻した。今回の旅行ではローズモスクに立ち寄った。小さいモスクだが名の通りピンクのモスクで内部もステンドグラスも風情があり印象に残った。
4.カタール
シラーズからドーハへ飛び、夕方まで市内観光。ラクダ市場やパー・アイランド、ゴールドスーク、スーク・ワキーフ、イスラム芸術館、カタールアルジャジーラの本社前等を慌ただしく見物した。イランの古い歴史建造物とは一転して対照的過ぎる豪華な街が続く。7人に1人は億万長者という国だけあって物凄い繁栄ぶりだったが、ここは日中39℃と暑かったのと巨大なビル群や豪華なヨットが多数等別世界なのでちょっと馴染みにくいと感じた。夜ドーハを発って関空へ。
4.最後に
今年は2月にイスラエル旅行し今回のイラン旅行と併せ、あまり知らなかった世界に首を突っ込んだ1年でした。やっとイラン旅行について纏めたので次にまだ書けなかったイスラエルについて纏めてみます。私は数年前まで政治と宗教についてあまり深く関心も関わりも持たず過ごして来たが、この2つについて皆が少し真剣に向かい合う事が必要な時期に来ていると思う。
・政治
湾岸戦争、イラク戦争、各国のアラブの春、シリア大内戦、イラン核開発問題は根底にパレスチナ問題と深く繋がっている事が見えてきた。湾岸戦争やイラク戦争で多額の資金を出して米国を支えた日本。戦争が続き財政難に喘ぎ出した米国。日本人の生計にも大きな影響を及ぼして来た。今後更に大きな動きが予想される。目先の利害にのみ捉われず、国際情勢も踏まえてキチンと正しく見て他人任せにせず関与していく必要がある。
・宗教
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。いずれも1神教で元々の神を共有しているようだ。それら同志の骨肉の争いの歴史と論理は今後も少しずつ理解を深めていきたい。八百万の神を祀る日本、靖国神社だけを特別大切にする人達もいて有力だ。仏教も葬式主体で僧の在り方にも疑問もある。宗教は無宗教も含め価値観の根底にあるもので、狭い道徳を一律に押し付けるのでなく、各個人が比較宗教学的に見比べて考えていく必要がある。
権力を握っている人達の専横で全てが決められるのでない、空気を読んで従うだけで無く、しっかりした考え方で草の根で繋がっていく時代にしていきたいものだとつくづく感じています。

